人生雑誌―戦後貧乏青年による知へのあこがれ

 

  1950年代において、貧困故に進学できなかった青年たちの鬱屈を表象した「人生雑誌」というメディアジャンルがありました。今回はそんな雑誌に焦点を当てた研究書『働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(福間良明 2017筑摩選書)を紹介したいと思います。

 人生雑誌は、そのレーゾンテートルとして、学歴エリートに対抗する要素を持っていました。『葦』をはじめとする人生雑誌は、向学心がありながら、家庭の貧困のため高校以上に進学できなかった「就職組」によって読まれ、書かれ(紙面は読者からの投稿記事が多かった)、心の拠り所とされていました。読者から投稿される手記等においては、文学や哲学等の人文知が多く参照され、「教養」への憧れが強く見受けられるものでした。多くの読者が厳しい労働環境、生活環境におかれ、雇用主の締め付けの中で満足に勉強することもままならなかったにも関わらず、人生雑誌を通じてなされる知の追求は、「出世」や「金儲け」などの実利を目指したものではなかったのです。『葦』創刊号の巻頭言には次のような一節があります。

 

 文学者になろうとするものでもない。ましてや地位や名誉を得ようとするのでもない。唯吾々はより良き生を生き抜かんとして居るのだ。或るものは工場の片すみに、又或るものは学校に、農村に……唯それだけだ」(『葦』創刊号二頁,福間 2017: 33より)

 

 人生雑誌は、人文知を通して内省し、「実利を超越した『真実の生き方』」(福間 2017: 295)を多く語りました。それは、学歴エリートに対する屈折した思いからでした。すなわち、「高校や大学での『就職進学に有利な為』の勉学のいかがわしさと、それに拘泥しない『就職組』の教養志向の崇高さ」を強調し、「『生き方』や『教養』にこだわる求道的な姿勢は、実利や肩書を求めて齷齪する(ように見える)『進学組』への優位を語」っていました(福間 2017: 162)。つまり、知性を求めながらも、知的エリートに対しては反感を抱き、形而上的な方向で自分を高める道を志向していたのでした[i])。

 しかしこうした人生雑誌は、60年代前半以降、高度経済成長期が中・後期に差し掛かる頃に衰退していきます。その原因は、人生雑誌が批判してきた、貧困・労働問題の解消です。高度経済成長の恩恵を被って家計状況が改善され、高校進学率は飛躍的に上昇します。進学できるか否かは、家庭の経済力の問題というより学力の問題になってきます。また、経済成長に伴い農村部での「人余り」は解消され、企業は労働力を確保するために労働環境を改善していきます。こうした中で、人生雑誌は、「苦しい環境の中で真理を探究する」というその存在意義を失っていくのです。60年代前半以降は、紙面の様子も変化しました。かつては文学者、思想家を引きながら「生き方」を悶々とつづっていましたが、次第に、現在の環境で努力し、成功をつかみ取ろうとする「前向きさ」や「明るさ」がみられるようになりました(福間 2017: 309-310)。

 「戦後において、学力がありながら貧困のために進学できなかった青年」とニッチながら量的には多くいたであろう層の心性をとらえたメディア「人生雑誌」。これは福間先生が光をあてるまでは忘れ去られたメディアでした。まさに「歴史を掘り起こす」というのはこうした仕事のことをいうのでしょうね。

 

 

[i])福間(2017)はこの現象を「反知性主義的知性主義」と呼びます。

1950年代~60年代におけるメディアの中のサラリーマン表象―『三等重役』と『ニッポン無責任時代』―

 昭和30年代においては、サラリーマンは「新中間層」と呼ばれ大衆文化の担い手と見なされていました[i]。しかし、実際その数を統計から明らかにした研究によると、サラリーマン層は全労働者の10~15%程度で、「大衆」と呼べるほどマス化してはいませんでした[ii]。しかしそれでも当時の研究者がそこに大衆文化を見出すほどに、「消費者としてのサラリーマン」の存在感は大きかったといえるでしょう。そしてそれ故に、映画の主題としても多く取り上げられ、ある種の社会的な表象になっていたと考えられます。

 最初に取り上げなければならない作品は源氏鶏太の『三等重役』でしょう。1951年に『サンデー毎日』で連載されたこの小説はベストセラーとなり、映画も大ヒットしました。「三等重役」という言葉は、GHQによる経営幹部の追放によって棚ボタ的に重役についた者のことを指します。資本家でもエリートでもなく、いわばサラリーマン重役です。作者の源氏鶏太は「三等重役といっても決して蔑称したのではなく、たとえば三等席のように大衆にいちばん親しみのある、戦後派の重役さんの意味です」[iii]と述べています。この小説はそんな三等重役の「桑原社長」と、人事課長の「浦島さん」、社長秘書の「若原君」が織りなす「春風駘蕩的な」[iv]物語です。といっても、仕事をバリバリやる場面はほとんど出てこず、社内恋愛や恐妻家の描写など、思わず微笑んでしまう人間関係のエピソードが主です。そこには戦後民主化された職場の理想が描かれていたといってもよいでしょう[v]。戦前『サラリマン物語』を執筆し、戦後日経連の幹部を務めた前田一は次のように述べています。

 

 しかし、なんといってもサラリーマンの性格がガラリと変ったのは、第二次大戦後のことですね。労働組合法ができたということは、画期的なことですよ。憲法基本的人権の尊重がうたわれ、上司下僚は、(中略)人間としてはまったく対等な人格であるという基本的な条件に立つようになった。昔は社長の顔を見れば目がつぶれるくらいに思っていた連中でも、戦後は堂々と組合の代表として社長と面と向かって卓を囲んで談判もすれば、交渉もするということになったので、これはたいへんな相違ですね。[vi]

 

 ここで述べられているような「職場の民主化」が、ユーモアを交えて語られていたのが小説『三等重役』でした。当時のサラリーマンたちはこの小説に春風駘蕩的な理想を見出していたのではないでしょうか。坂堅太は、戦前のサラリーマン映画が、上司に怯えてへこへこする小市民的な描写が多かったことと比較して、『三等重役』はかなり民主主義的であることを指摘しています[vii]

 この時代もう一つサラリーマンを表象する重要なメディアだったのは映画です。キネマ旬報の調査によると、1955年度に公開された映画の登場人物で最も多いのはサラリーマンでした[viii]。そしてサラリーマン映画の担い手となったのは東宝です。東宝は、上記『三等重役』の映画化成功をきっかけに、『へそくり社長』をはじめとするサラリーマン映画を次々と公開します。昭和30年代を通じて「東宝社長シリーズ」は高い人気を博しました。そこで描かれる社長は、平凡な気質の持ち主で、公的場面では株主を恐れ、私的場面では妻を恐れる凡人として描かれます。とはいえ、昭和30年代におけるサラリーマンの階層性を考えると、企業の社長は圧倒的にブルジョワです。確かに、「職工差別」撤廃されますが、ブルーカラーとホワイトカラーの所得格差は改善しません。さらに目立つようになるのは、ホワイトカラー内部での賃金格差です。高卒社員と大卒社員、あるいはそれに紐づいた非役職者と役職者には大きな賃金格差がありました[ix]。例えそれが棚ボタ的に重役になった「三等」であったにせよ、企業の幹部というのは庶民には手が届かない資本力を持っていたのです。そのような状況で、「東宝社長シリーズ」は、企業幹部を凡人として描くことで、「雲の上の人」を地平まで引きずり下ろし、庶民の支持を得たのだと考えられます。

 次に取り上げるべき作品は1962年の大ヒット映画『ニッポン無責任時代』でしょう。植木等主演の喜劇映画です。この映画は東宝社長シリーズの流れを変えるべく作られた映画です。当時のプロデューサー安達英三郎は次のように語っています。

 

 ここで一挙に根本からサラリーマンものの体質改善をしなければ、東宝十八番といわれて来たこのシリーズの前途は絶対絶望である。今までのものを一切排除して全く新しいものに転換すべきだと、私は一大決心をしてこの「無責任時代」の企画をたてたのだ。[x]

 

 江藤文夫も次のように評しています。

 

 これまでサラリーマン映画の隆盛をもたらしたのは、誰よりも源氏鶏太の功績である。功罪相半ばする、と言ってもいい。源氏鶏太のワクにはめこまれたために、あたら逸材がだめになった、あるいはダメになりかけている例も、いくつかある。『ニッポン無責任時代』の植木等は、たった一人で、サラリーマン源氏映画の重みに挑戦した。[xi]

 

 実際、『三等重役』のようなほのぼの日常ストーリーとは異なり、主人公の「平均(たいらひとし)」が口八丁で世渡りしていく現実離れしたトリッキーなストーリー展開です。それは、それまでの東宝シリーズを支えてきた「家族主義的」な会社の雰囲気を拒絶するものでした。突然クビになったり部長になったり社長になったりと、おおよそ現実社会では考えられないようなトリッキーな映画がどうして流行したのか。それは「アメリカ的なるものへの屈託の昇華」と分析する論者もいます[xii]。敗戦の傷を微塵も感じさせず調子よくスイスイと日々を過ごしていく植木等にある種の爽快さを覚えたというのでしょう。「敗戦の傷」という「暗い戦後」を意図的に切り離し、「明るい戦後」をパッケージングして人気を博した点は『三等重役』と同じです[xiii]。それでは、当時のサラリーマンの状況と照らし合わせて考えてみるとどうなるのでしょうか。

 1962年といえば高度成長前期です。当時のサラリーマンの特徴の一つは、社会的地位としては中間階層に位置づけられながら、収入面では低額層に位置づけられるというズレでしょう。確かに平均でみると、労務者よりもサラリーマンの方が収入は高いのですが、年齢別に見てみると、30歳くらいまでは両者の賃金格差はほとんどありません。サラリーマンが年功を重ね、管理的立場になるにつれて差が開いてくるのです。つまり、労職格差というよりは、サラリーマン内部での年齢格差、学歴格差がはっきりと見受けられる状態でした[xiv]。サラリーマン層、特に大卒においては、インテリであるという自負(当時の大学進学率は10%程度)と将来の昇進への期待から自らを紳士であると自己認識したい気持ちがあったのでしょう。それは例えば当時の「消費ブーム」に表れていました。紳士として高級な家具やスーツを揃えるために、月賦が広く利用されたのです(当時のサラリーマン世帯の月賦利用率は47.6%です[xv])。『ニッポン無責任時代』においても、「背広の月賦がまだ残ってるんだから」というセリフが出てきます。

 一方で、週刊誌レベルでは大卒の増加による出世競争の激化が嘆かれ、出世法や処世術が見られるようになります。子供の教育費や電化製品の購入のためにカツカツで生活をし、会社では上司にへこへこしながら同期との出世競争にいそしむ。これは戦前からいわれていることですが、経営者としてふるまうこともできず、労働者として権利をかかげて戦うこともできない中途半端でしがないサラリーマン像が相変わらず息づいています[xvi]。そんな中途半端な立場にあるサラリーマンの平凡な日常を「C調」に笑い飛ばしてくれる映画、それが『ニッポン無責任時代』だったのではないでしょうか。

 確かに「敗戦の傷」を覆い隠し、「明るい戦後」を描き出した点で『三等重役』と連続していました。しかし、大卒者の急増よる競争の激化、エリートでなくなる不安がある一方で、消費ブームの到来により電気家具を手に入れることが「サラリーマン」としての矜持を保つというプレッシャーがありました。これにより、60年代当時のサラリーマンは50年代のサラリーマンよりも、「庶民」と「インテリ」という二重性の板挟みになる度合いが強かったと考えられます。そうした中で、「平均」という非現実的で反動的なヒーロー[xvii]が、日々の二重性の鬱屈を感じさせない機能を持っていたのではないでしょうか。つまり、『三等重役』が、戦前と比較した時の「民主化」された職場の「理想」を描いたのに対し、『ニッポン無責任時代』はその先、現実の二重性という苦しみからの「逃避」を描いたものと考えられます。

 

[i] 大河内一男『日本的中間階級』(1960)、加藤秀俊「中間文化論」『中央公論』 72(3) 1957.03 p.252-261

[ii] 橋本健二『格差の戦後史』、田沼肇「日本における「中間層」問題」『中央公論』 72(14) 1957.12 p.195~207

[iii] 源氏鶏太「作者の言葉」『サンデー毎日』1951年8月5日、52頁。

[iv] 井上ひさし「ベストセラーの戦後史-8-源氏鶏太「三等重役」昭和27年」『文芸春秋』 66(1) 1988.01 p.p410~416

[v] 鈴木貴宇「「明朗サラリーマン小説」の構造 : 源氏鶏太『三等重役』論」『Intelligence』(12):2012.3 p.125-136

[vi] 大河内一男 他「ビジネスマンの百年を回顧する(座談会)」別冊中央公論. 経営問題 4(2) 1965.06

[vii] 坂堅太「東宝サラリーマン映画の出発 : 家族主義的会社観について」『人文論叢』(33):2016 p.21-30

[viii]キネマ旬報』1956年8月下旬号 p.83-90

[ix] 松成義衛『現代サラリーマン論』1965

[x] 安達英三郎「東宝喜劇の終末を飾った『ニッポン無責任時代』」『キネマ旬報』1985年4月15日号(通号908)P143~P145

[xi] 江藤文夫 『キネマ旬報』1962年9月(320)(1135)

[xii] 松原隆一郎「無責任男の「笑い」にたくした、日本人の「夢」とは 植木等に見る、高度経済成長期」『東京人』 22(7) (通号 241) 2007.6 p.134~139

[xiii] 坂堅太「二重化された〈戦後〉 : 源氏鶏太『三等重役』論」『日本文学』64(2):2015.2 p.33-43

[xiv] 松成義衛『現代サラリーマン論』1965

[xv] 松成前掲p126-7(出展は経済企画庁「消費者動向予測調査」)

[xvi] 大宅壮一は次のように述べています。「サラリーマンは、ブルジョアのように現在を支配する力をもっていない。といって又戦闘的労働者のように、明日を望んで生きることも出来ない。勢い彼等の生活の重心は、その限定された資力をもって最大の消費的満足を獲得することであらねばならぬ。」『サラリーマン』昭和4年10月

[xvii] 西脇英夫『キネマ旬報臨時増刊号』1982年5月号p.300

ドラマ『ふぞろいの林檎たち』とコンプレックスの80年代

ふぞろいの林檎たち1983年) 平均視聴率17.6%

ふぞろいの林檎たちII1985年) 平均視聴率18.0%

 

「学校どこですか?」パート第一話のタイトルです。劇中では主人公の一人、西寺が「『学校どこですか?』って聞かれるのが一番嫌だよ!!」と言う。そして主人公たちが社会人になったパートの第一話のタイトルは「会社どこですか?」。劇中で同じく西寺が「昔は『学校どこですか?』って聞かれるのが嫌だったけど、今は『会社どこですか?』って聞かれるのが嫌だよ!!」と言う。

 

このドラマは、若者のコンプレックスを扱ったドラマです。パートでは、「三流大学に通っている」ということが大きなコンプレックスとなり、ストーリーが進んでいく大前提となります。そしてそのコンプレックスは結局は解消されません。「どうしようもないもの」として留置されたまま、皆それぞれの日々を生きていきます。そういう意味では、現代のドラマのように、第一話から最終話にかけて登場人物が大きく変化していくということはあまりありません。今の感覚から見ると、なんというか匍匐前進のようなストーリー展開ともいえるでしょう。当時のプロデューサーの大山勝美と脚本家の山田太一は、「トレンディ・ドラマ」ではなく、リアルなものを描きたかったと言っています(文芸春秋 1997.6)が、確かに当時流行していたトレンディ・ドラマのような激しい展開やご都合主義的な展開は少ないように思います。というより、彼らの抱える問題はほとんど解決しないまま最終回を終えます。

 

少し歴史的な話をすると、70年代から80年代にかけては、若者の学校歴や職業に対するコンプレックスの「質」が変化してきた時代であるように思います。福間(2017)が描き出したような戦後間もない頃の「勤労青年」も確かに上級学校に進めないことにコンプレックスを感じていましたが、それは本人の努力不足の問題ではなく、家庭の経済状況という「時代」の問題でした。だからこそ、ある意味ストレートに世の中に不満を抱けたのでしょうが、「ふぞろいの林檎たち」の主人公たちはそうではありません。「自分の能力不足」という認識がありながら、ある種の「やりきれなさ」を抱えて日々を生きています。

 

 1980年代といえば、「虚構の時代」(大澤 2008)といわれ、田中康夫の「なんとなくクリスタル」(1980)に出てくるような、消費文化を享受する有名大学の学生がイメージされるかもしれませんが、その裏には多数の「やりきれない」コンプレックスを抱えた若者の存在があったのでしょう。

 

実際、このドラマには「消費でアイデンティティを構築する」という場面はほとんど出てきません。モノと人間ではなく、人間と人間の関係を徹底的に描いています(人間ドラマなのだから当然といえば当然ですが)。パート第一話冒頭で、仲手川がエレッセのベストという〈ユニフォーム〉を着て医学部のパーティに紛れ込む。このシーンでのみ唯一「エレッセのベスト」というモノがドラマ内で機能を持ちます。しかし仲手川は偽装がばれてすぐにパーティから追い出されてしまいます。以降、ドラマ内でモノが機能を持つことはありません。これは、消費によるアイデンティティ形成が第一話冒頭の時点で棄てられたことを意味するのではないでしょうか。

 

加えて、パートでは、岩田と西寺は営業先にぞんざいに扱われ、仲手川は会社で上司からパワハラを受けます。こうしたシーンが劇中で中心的に扱われることからも、若手サラリーマンの人間関係という苦悩も大衆化されようとしていたことがうかがえます。このことは、既存の80年代論にあるような「大学生による華やかな消費」という虚構だけではなく、「様々なコンプレックスや人間関係に悩む若者像」も大衆化されたことを示唆しているのではないでしょうか。

平成31年度学振特別研究員 社会学関連 研究課題一覧

どこに需要があるのかわかりませんが、平成31年度学振特別研究員採用者(細目区分:社会学関連)の研究課題一覧を作ってみました。何かの御参考になれば幸いです。(なお、嫌がる方もいらっしゃるかもしれませんので、採択者の御名前は載せず、受入教員のみ記載しています。)

 

DC1

「多様なナショナリズムの形成過程-計量社会学的アプローチを用いた実証研究」 大阪大学 人間科学研究科 吉川徹 教授

「特攻言説の歴史的構築に関するメディア論的分析」 慶應義塾大学 社会学研究科 大石裕 教授

「リベラルな国家の成員資格をめぐる社会学的規範理論の構築」 東京大学 総合文化研究科 佐藤俊樹 教授

「細分化されたカテゴリーが媒介する自己知と他者理解ー性別違和をめぐる語りからー」 東京大学 人文社会系研究科 赤川学 教授

「職場における「振舞のコード」の解明:雑誌言説に表れる対人関係の技法に着目して」 慶應義塾大学 社会学研究科 近森高明 教授

「教育における水平的差異が生じさせる格差の生成メカニズムに関する研究」 東京大学 総合文化研究科 藤原翔 准教授

「女性向けAV視聴者の社会学的研究:性的主体化とセクシュアル・ストーリーの観点から」 東京大学 人文社会系研究科 赤川学 教授

「学校世界と職業世界の接続点:大卒労働市場における企業の採用に関する実証的研究」 東京大学 総合文化研究科 佐藤俊樹 教授

 

DC

「障害者と健常者の関係形成に関する社会学的研究-個人・制度・社会運動に着目して」 一橋大学 社会学研究科 町村敬志 教授

「日本における非正規移民-日常生活と「不法」性発生のメカニズム- 早稲田大学 アジア太平洋研究科 FARRE Gra cia 教授

「日韓漫画における「場」の形成と象徴闘争の様相の比較研究:ブルデューの概念を中心に」 東京大学 人文社会系研究科 出口剛司 准教授

「社会階層間における投票参加の不平等に関する計量社会学的実証研究」 首都大学東京 大学院人文科学研究科 中尾啓子 教授

「対面相互行為における活動間の移行の組織に関する体系的研究」 千葉大学 人文公共学府 西阪仰 教授

「災害時における多組織連携体制の検討-創発型組織に着目して- 東京大学 学際情報学府 田中淳 東京大学報学環教授

「東アジアにおけるウェーバー受容の比較研究」 京都大学 文学研究科 田中紀行 准教授

「異質な他者との関係構築法の再創造ー多文化主義研究の検討と刷新を通して」 京都大学 文学研究科 松田素二 教授

「介護分野における職業教育訓練の脱構築--労働運動の実践・戦略に着目して- 東京大学 教育学研究科 仁平典宏 准教授

「近代東アジアにおける満族ディアスポラ研究-民族アイデンティティの構築を中心に
一橋大学 社会学研究科 佐藤仁史 教授

自閉症スペクトラム障害のポリティクス--医者・心理学者・当事者はいかに語るか」 立命館大学 先端総合学術研究科 美馬達哉 教授

「「家」なき現代社会における墓の建立・継承の意味の解明--不死性の社会学からの展開」 首都大学東京 大学院人文科学研究科 玉野和志 教授

不妊治療と仕事の両立に関する実証研究-両立の規定要因と支援制度に着目して」 東京大学 教育学研究科 本田由紀 教授

「〈東京津軽人〉の還流移動と地方農山村の持続可能性に関する社会学的研究」 首都大学東京 大学院人文科学研究科 山下祐介 教授

「「消費者」の歴史社会学--現代日本における経済主体の誕生とその変容」 東京大学 学際情報学府 北田暁大 教授

「日本におけるホームレスの人々のギャンブル障害の実態」 京都大学 医学研究科 古川壽亮 教授

「戦後日本社会における社会意識の趨勢解明:コーホート分析の開発と実証的議論」 大阪大学 人間科学研究科 川端亮 教授

「戦争と宗教の公共性をめぐる歴史社会学的研究--真宗大谷派教団の事例分析」 東京大学 人文社会系研究科 出口剛司 准教授

「越境するインドネシア人看護師・介護福祉士の研究-日尼経済連携協定をケースとして 筑波大学 人文社会科学研究科 明石純一 准教授

視覚障害者のアイデンティティをめぐる社会学的研究」 関西学院大学 社会学研究科 三浦耕吉 教授

「社会経済的不平等を解消する新アプローチ」 東北大学 文学研究科 佐藤嘉倫 教授

 

PD

「音楽が現代社会の問題解決に資する可能性についての社会学的研究」 滋賀大学 教育学部 宮本結佳 准教授

社会関係資本概念を用いた地域における福祉と経済の統合的発展:日瑞国際地域比較分析 京都大学 京都大学大学院経済学研究科 久本憲夫 教授

性的少数者メンタルヘルス悪化のメカニズム-混合研究法による実証的解明」 上智大学 総合人間科学部 藤村正之 教授
「コミュニティの再編と自然資源管理の再編成に関する社会学的研究」 法政大学 人間環境学 西城戸誠 教授

コモディティ化からの脱却による農業の世代内/世代間正義の実現」 東京大学 新領域創成科学研究科 福永真弓 准教授

八重山社会の「近代化」--パイナップルの歴史と社会過程にかんする社会学的研究」 法政大学 人間環境学 西城戸誠 教授

「普通学校における障害児排除の多層的要因の解明」 京都大学 文学研究科 太郎丸博 教授

「自然災害をめぐる知とメディアについての歴史社会学的研究」 京都大学 教育学研究科 佐藤卓己 教授

「職業経歴からみる階層構造と階層生成メカニズムの再検討」一橋大学 経済研究所 神林龍 教授

「沖縄からみる環太平洋島嶼植民地支配の重層性:パイン産業の国際移動の批判的検証」 上智大学 総合グローバル学部 蘭信三 教授 



学振申請書(文系)の書き方(の一例)

 研究者を目指す方の登竜門である日本学術振興会特別研究員(いわゆる学振)。私は周囲のサポートのおかげで運良く採用された(DC1・社会学)わけですが、その経験を踏まえて、申請書の書き方について自分なりにまとめてみようと思います。

 私のような人文社会系の申請書となると、その書き方について公にアクセスできる情報が少ないのではないでしょうか。学振申請書作成は情報戦的な要素もあると思いますので、そうした情報格差を埋めるためにも、この記事が役に立てば幸いです。

 ※なお、リスク管理の観点から私の申請書自体を公開するのは控えます。御所望の方がいらっしゃいましたら、twittergmailの方まで、御所属とお名前を添えてお気軽に御連絡下さい。PDFファイルでお送りいたします。

 

1.総論

(1)はじめに

 学振(特に実績があまり問われないDC1)は、正直運の要素も強いと思います。私もまだまだ見習い研究者ですし、書き方についてアドバイスするなんておこがましいと思っています。ここで書くことはあくまでも採用された一例としてお読みいただければと思います。

 (2)人的資源の重要性

 学振に受かるかどうかは、周りに科研費を当てまくっている先生がいらっしゃるor学振に内定している先輩がいらっしゃって、相談できる環境にあるかどうかがかなり重要になってきます。採用者が都市部有名大学に集中してしまうのはそうした事情があるのでしょう。つまり、「優秀な研究者に申請書を見てもらう」という作業が重要になります。私の場合、科研費採択実績が多い先生7名くらいに見ていただきました。修士課程を過ごした立命館大学は先生と学生の距離が近く、環境としては恵まれていたと思います。

 (3)書き方の基本原則

 申請書の中身については、①何をやるのか、②なぜその研究をやる必要があるのか(その研究をやるとどんな良いことがあるのか)が端的に分かるように書くことが原則となります。一読してこの点が分からなければ、評価は低いものになってしまうでしょう。

 ①を詰めることが研究計画の精緻化につながり、②を詰めることが、依って立つ先行研究群の明確化や研究の学術的意義の明確化につながります。

 (4)説明責任

 学振研究員の給料と研究費は、税金でまかなわれています。DC1の場合、3年で1000万近くの税金が投入されることになります。税金を投入することは即ち、その妥当性について一般国民に対して説明責任が発生することにつながります。極端な話ですが、国会等のオフィシャルな場面で、その研究に対して税金を投入した妥当性を問われた場合、端的にそれに答えられるようでなければならないということです。その場合、「よく勉強している」ということは必要条件ですが十分条件ではありません。繰り返しになりますが「その研究をやってどんな良いことがあるのか」を端的に答えなければなりません。それを常に意識してください。

 

2.各論

 それでは、申請書の各項目別にどのように書けばよいかを解説していきます。

■.現在までの研究状況

(これは賛否両論あるところですが)可能な限り注意書きに忠実に書きましょう。次のような注意書きがあります。

①これまでの研究の背景、問題点、解決方策、研究目的、研究方法、特色と独創的な点について当該分野の重要文献を挙げて記述してください。

②申請者のこれまでの研究経過及び得られた結果について、問題点を含め①で記載したことと関連づけて説明してください。なお、これまでの研究結果を論文あるいは学会等で発表している場合には、申請者が担当した部分を明らかにして、それらの内容を記述してください。

この注意書きについて、自分は以下の四つにクラスタリングして項目を立てました。

 

≪これまでの研究の背景≫

 ここでは、当該研究が求められる社会的背景について、学術的知見を引用しながら書きました。世の中にはこういう問題がある(といわれている)、だからその問題に取り組むために当該研究が必要である、といった感じです。

 ≪問題点、解決方策≫

 ここでは、前の項目で述べた社会的背景について、どういった研究が提出されており、そうした研究が問い残しているものは何なのか、ということを書きました。ここは非常に重要です。仮想敵としている先行研究がぼやけていると、研究全体の存在意義が疑われます。先行研究のポイントをしっかりと書き、何が不足しているがゆえにどのように誤った結論を出しているのか、恐れずに書いてください。そして問い残されている問題に取り組むために、自分はこういう着眼点(あるいは調査対象物)に焦点を当てる、という流れです。

 ≪研究目的、研究方法、これまでの研究経過及び得られた結果≫

 ここでは、研究目的、研究方法をそれぞれ一文で書きました。そして研究経過を厚めに書いた上で、その問題点に触れておきました。ここで問題点に触れることで、後の項目で、今後の研究を進める妥当性の論証がしやすくなります。

 ≪特色と独創的な点≫

 ≪問題点、解決方策≫で書いた先行研究の問題点に紐づけて記入すると分かりやすいと思います。(あまりフレーズにこだわるのはマニュアル的でよくないですが)「(先行研究の)前提の再検討を促し」とか「~する可能性を拓いた」とかいうフレーズに乗っかるように、これまでの研究やることによって、(社会的あるいは学術的に)こんな良いことがありましたよ、ということを端的に書きましょう。

 

■.これからの研究計画

(1)研究の背景

 やはり注意書きに忠実に書きましょう。

2.で述べた研究状況を踏まえ、これからの研究計画の背景、問題点、解決すべき点、着想に至った経緯等について参考文献を挙げて記入してください。

 私の場合、以下の二つにクラスタリングしました。

≪研究計画の背景/着想に至った経緯≫

 前の項目で伏線を貼っておいた「これまでの研究の問題点」を回収します。「問題点」を踏まえて、今後どのような研究が展開されなければならないか、ということを要約的に頭出しして記述しました。

 ≪問題点、解決すべき点≫

 「問題点」に関連してどういった先行研究があるのか、先行研究では足りないところはどこか、それを補うためにはどういった調査をする必要があるのか、ということを具体的に記述するとよいでしょう。

(2)研究目的・内容

 今後の研究については、研究A、研究Bといったようにいくつかの研究プロジェクトに分けて書かれる方が多いかと思います。ここで注意しなければならないことは、そうしたプロジェクトを通して結局何がしたいのか、ということを、最初に一文で書くことです。

 

≪研究目的≫

 何を明らかにするのか、という研究の終着点を一文で書きましょう。その上で、そのために個々の研究プロジェクトがどういった役割を果たすのかということをそれぞれ端的に述べます。

 ≪研究方法・内容・計画≫

 ここでは研究プロジェクトの詳細について述べます。私の場合は、【研究タイトル】【研究方法】【研究内容】に分けて書きました。【研究タイトル】は、研究内容が一目で分かるようなもの。【研究方法】は「何を」「どういった方法で」調べるのか一文で書きました。

 【研究内容】については、これからの研究なので書き方に悩むところです。私の場合、「何を明らかにするのか」「先行研究の状況」「予想される論点」「研究の際の着眼点」を盛り込みました。計画とは言いつつも、ある程度筋道が見えている感じを出した方が、読んでる方は研究内容をイメージしやすいと思います。

  

 繰り返しになりますが、研究計画を書く場合、「何がしたいの?」「それをやるとどんな良いことがあるの?」という問いの答えが、一目で分かるような記述を心がけてください。

 

■.研究の特色・独創的な点

 この項目はけっこう悩みました。というのも、DCの場合、これまでの研究の延長として今後の研究が展開されていく場合が多いと思いますので、特色と独創的な点は自ずと「これまでの研究」のそれと似通ってしまうからです。といっても、それ自体は大きな問題ではないと思います。私が見た範囲の採用申請書も、この点は「これまでの研究」の該当箇所と似通っていました。ただし、この項目には紙幅が比較的あるので、「どの学術的分野に」「どういった貢献があるのか」ということを具体的に記述できるとよいでしょう。加えて、社会的意義についても具体的に記述できると望ましいと思います。

 

■.年次計画

 私はこの項目に、博論の章立てと、各章についていつ取り組むのかを明記しました。あとは、年度ごとに、「どの資料を集め」、「どの学会に発表し」、「どの雑誌に投稿するのか」について固有名詞を入れて淡々と記述しました。

 

 以上、簡単にですが私の学振合格体験記です。加筆修正事項があれば随時更新いたします。繰り返しになりますが、申請書自体を御所望の方または御質問がある方はtwitterまたはgmailまでお気軽に御連下さい。

研究業績一覧(2019年4月時点)

≪学術論文等≫

(査読あり)

谷原吏、「A. Giddens後期近代論を人々の振舞の次元で考える―振舞のコードとしてのauthenticityについて」(査読付研究ノート)『立命館産業社会論集』、54巻第2号、pp. 85-98、2018年9月.

 

(査読なし)

Tsukasa TANIHARA, “Agendas in the sociology of emotional labor”, Conference Proceedings in 2018 International Postgraduate and Academic Conference, Chung-Ang Institute of Sociology at Chung-Ang University, February, 2018.

Tsukasa TANIHARA, "How are advice discourses about interactions in the workplace read?", Conference Proceedings in 2019 International Postgraduate and Academic Conference, Ritsumeikan University, February 2019

 

≪学会報告≫

Tsukasa TANIHARA, ”Agendas in the sociology of emotional labor”, 2018 International Postgraduate and Academic Conference, Chung-Ang University, Seoul, Korea, (February 2018)

谷原吏、「相互行為場面における『適切さ』の現代的特徴-ビジネス雑誌に表象される場面に着目して-」、『第69回関西社会学会』、松山大学、松山、2018年6月(大会奨励賞受賞

谷原吏、「A. Giddens 後期近代論と感情の社会史研究の架橋の可能性-振舞のコードとしての『ほんものらしさ(authenticity)』について-」、『第91回日本社会学会』、甲南大学、神戸、2018年9月

Tsukasa TANIHARA, "How are advice discourses about interactions in the workplace read?", 2019 International Postgraduate and Academic Conference, Ritsumeikan University, (February 2019)

 

≪受賞≫

・第69回関西社会学会 大会奨励賞(2018年6月)

 

≪その他≫

谷原吏、2019年度日本学術振興会特別研究員(DC1・社会学)採用内定

研究課題名:「職場における『振舞のコード』の解明:雑誌言説に表れる対人関係の技法に着目して」

谷原吏、「ビジネス誌で語られる『望ましい振舞』―対人関係の技法を社会学する―」、『立命館大学産業社会学部アドバンストセミナー』、立命館大学、京都、2018年7月