人生雑誌―戦後貧乏青年による知へのあこがれ

 

  1950年代において、貧困故に進学できなかった青年たちの鬱屈を表象した「人生雑誌」というメディアジャンルがありました。今回はそんな雑誌に焦点を当てた研究書『働く青年」と教養の戦後史: 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(福間良明 2017筑摩選書)を紹介したいと思います。

 人生雑誌は、そのレーゾンテートルとして、学歴エリートに対抗する要素を持っていました。『葦』をはじめとする人生雑誌は、向学心がありながら、家庭の貧困のため高校以上に進学できなかった「就職組」によって読まれ、書かれ(紙面は読者からの投稿記事が多かった)、心の拠り所とされていました。読者から投稿される手記等においては、文学や哲学等の人文知が多く参照され、「教養」への憧れが強く見受けられるものでした。多くの読者が厳しい労働環境、生活環境におかれ、雇用主の締め付けの中で満足に勉強することもままならなかったにも関わらず、人生雑誌を通じてなされる知の追求は、「出世」や「金儲け」などの実利を目指したものではなかったのです。『葦』創刊号の巻頭言には次のような一節があります。

 

 文学者になろうとするものでもない。ましてや地位や名誉を得ようとするのでもない。唯吾々はより良き生を生き抜かんとして居るのだ。或るものは工場の片すみに、又或るものは学校に、農村に……唯それだけだ」(『葦』創刊号二頁,福間 2017: 33より)

 

 人生雑誌は、人文知を通して内省し、「実利を超越した『真実の生き方』」(福間 2017: 295)を多く語りました。それは、学歴エリートに対する屈折した思いからでした。すなわち、「高校や大学での『就職進学に有利な為』の勉学のいかがわしさと、それに拘泥しない『就職組』の教養志向の崇高さ」を強調し、「『生き方』や『教養』にこだわる求道的な姿勢は、実利や肩書を求めて齷齪する(ように見える)『進学組』への優位を語」っていました(福間 2017: 162)。つまり、知性を求めながらも、知的エリートに対しては反感を抱き、形而上的な方向で自分を高める道を志向していたのでした[i])。

 しかしこうした人生雑誌は、60年代前半以降、高度経済成長期が中・後期に差し掛かる頃に衰退していきます。その原因は、人生雑誌が批判してきた、貧困・労働問題の解消です。高度経済成長の恩恵を被って家計状況が改善され、高校進学率は飛躍的に上昇します。進学できるか否かは、家庭の経済力の問題というより学力の問題になってきます。また、経済成長に伴い農村部での「人余り」は解消され、企業は労働力を確保するために労働環境を改善していきます。こうした中で、人生雑誌は、「苦しい環境の中で真理を探究する」というその存在意義を失っていくのです。60年代前半以降は、紙面の様子も変化しました。かつては文学者、思想家を引きながら「生き方」を悶々とつづっていましたが、次第に、現在の環境で努力し、成功をつかみ取ろうとする「前向きさ」や「明るさ」がみられるようになりました(福間 2017: 309-310)。

 「戦後において、学力がありながら貧困のために進学できなかった青年」とニッチながら量的には多くいたであろう層の心性をとらえたメディア「人生雑誌」。これは福間先生が光をあてるまでは忘れ去られたメディアでした。まさに「歴史を掘り起こす」というのはこうした仕事のことをいうのでしょうね。

 

 

[i])福間(2017)はこの現象を「反知性主義的知性主義」と呼びます。