1950年代~60年代におけるメディアの中のサラリーマン表象―『三等重役』と『ニッポン無責任時代』―

 昭和30年代においては、サラリーマンは「新中間層」と呼ばれ大衆文化の担い手と見なされていました[i]。しかし、実際その数を統計から明らかにした研究によると、サラリーマン層は全労働者の10~15%程度で、「大衆」と呼べるほどマス化してはいませんでした[ii]。しかしそれでも当時の研究者がそこに大衆文化を見出すほどに、「消費者としてのサラリーマン」の存在感は大きかったといえるでしょう。そしてそれ故に、映画の主題としても多く取り上げられ、ある種の社会的な表象になっていたと考えられます。

 最初に取り上げなければならない作品は源氏鶏太の『三等重役』でしょう。1951年に『サンデー毎日』で連載されたこの小説はベストセラーとなり、映画も大ヒットしました。「三等重役」という言葉は、GHQによる経営幹部の追放によって棚ボタ的に重役についた者のことを指します。資本家でもエリートでもなく、いわばサラリーマン重役です。作者の源氏鶏太は「三等重役といっても決して蔑称したのではなく、たとえば三等席のように大衆にいちばん親しみのある、戦後派の重役さんの意味です」[iii]と述べています。この小説はそんな三等重役の「桑原社長」と、人事課長の「浦島さん」、社長秘書の「若原君」が織りなす「春風駘蕩的な」[iv]物語です。といっても、仕事をバリバリやる場面はほとんど出てこず、社内恋愛や恐妻家の描写など、思わず微笑んでしまう人間関係のエピソードが主です。そこには戦後民主化された職場の理想が描かれていたといってもよいでしょう[v]。戦前『サラリマン物語』を執筆し、戦後日経連の幹部を務めた前田一は次のように述べています。

 

 しかし、なんといってもサラリーマンの性格がガラリと変ったのは、第二次大戦後のことですね。労働組合法ができたということは、画期的なことですよ。憲法基本的人権の尊重がうたわれ、上司下僚は、(中略)人間としてはまったく対等な人格であるという基本的な条件に立つようになった。昔は社長の顔を見れば目がつぶれるくらいに思っていた連中でも、戦後は堂々と組合の代表として社長と面と向かって卓を囲んで談判もすれば、交渉もするということになったので、これはたいへんな相違ですね。[vi]

 

 ここで述べられているような「職場の民主化」が、ユーモアを交えて語られていたのが小説『三等重役』でした。当時のサラリーマンたちはこの小説に春風駘蕩的な理想を見出していたのではないでしょうか。坂堅太は、戦前のサラリーマン映画が、上司に怯えてへこへこする小市民的な描写が多かったことと比較して、『三等重役』はかなり民主主義的であることを指摘しています[vii]

 この時代もう一つサラリーマンを表象する重要なメディアだったのは映画です。キネマ旬報の調査によると、1955年度に公開された映画の登場人物で最も多いのはサラリーマンでした[viii]。そしてサラリーマン映画の担い手となったのは東宝です。東宝は、上記『三等重役』の映画化成功をきっかけに、『へそくり社長』をはじめとするサラリーマン映画を次々と公開します。昭和30年代を通じて「東宝社長シリーズ」は高い人気を博しました。そこで描かれる社長は、平凡な気質の持ち主で、公的場面では株主を恐れ、私的場面では妻を恐れる凡人として描かれます。とはいえ、昭和30年代におけるサラリーマンの階層性を考えると、企業の社長は圧倒的にブルジョワです。確かに、「職工差別」撤廃されますが、ブルーカラーとホワイトカラーの所得格差は改善しません。さらに目立つようになるのは、ホワイトカラー内部での賃金格差です。高卒社員と大卒社員、あるいはそれに紐づいた非役職者と役職者には大きな賃金格差がありました[ix]。例えそれが棚ボタ的に重役になった「三等」であったにせよ、企業の幹部というのは庶民には手が届かない資本力を持っていたのです。そのような状況で、「東宝社長シリーズ」は、企業幹部を凡人として描くことで、「雲の上の人」を地平まで引きずり下ろし、庶民の支持を得たのだと考えられます。

 次に取り上げるべき作品は1962年の大ヒット映画『ニッポン無責任時代』でしょう。植木等主演の喜劇映画です。この映画は東宝社長シリーズの流れを変えるべく作られた映画です。当時のプロデューサー安達英三郎は次のように語っています。

 

 ここで一挙に根本からサラリーマンものの体質改善をしなければ、東宝十八番といわれて来たこのシリーズの前途は絶対絶望である。今までのものを一切排除して全く新しいものに転換すべきだと、私は一大決心をしてこの「無責任時代」の企画をたてたのだ。[x]

 

 江藤文夫も次のように評しています。

 

 これまでサラリーマン映画の隆盛をもたらしたのは、誰よりも源氏鶏太の功績である。功罪相半ばする、と言ってもいい。源氏鶏太のワクにはめこまれたために、あたら逸材がだめになった、あるいはダメになりかけている例も、いくつかある。『ニッポン無責任時代』の植木等は、たった一人で、サラリーマン源氏映画の重みに挑戦した。[xi]

 

 実際、『三等重役』のようなほのぼの日常ストーリーとは異なり、主人公の「平均(たいらひとし)」が口八丁で世渡りしていく現実離れしたトリッキーなストーリー展開です。それは、それまでの東宝シリーズを支えてきた「家族主義的」な会社の雰囲気を拒絶するものでした。突然クビになったり部長になったり社長になったりと、おおよそ現実社会では考えられないようなトリッキーな映画がどうして流行したのか。それは「アメリカ的なるものへの屈託の昇華」と分析する論者もいます[xii]。敗戦の傷を微塵も感じさせず調子よくスイスイと日々を過ごしていく植木等にある種の爽快さを覚えたというのでしょう。「敗戦の傷」という「暗い戦後」を意図的に切り離し、「明るい戦後」をパッケージングして人気を博した点は『三等重役』と同じです[xiii]。それでは、当時のサラリーマンの状況と照らし合わせて考えてみるとどうなるのでしょうか。

 1962年といえば高度成長前期です。当時のサラリーマンの特徴の一つは、社会的地位としては中間階層に位置づけられながら、収入面では低額層に位置づけられるというズレでしょう。確かに平均でみると、労務者よりもサラリーマンの方が収入は高いのですが、年齢別に見てみると、30歳くらいまでは両者の賃金格差はほとんどありません。サラリーマンが年功を重ね、管理的立場になるにつれて差が開いてくるのです。つまり、労職格差というよりは、サラリーマン内部での年齢格差、学歴格差がはっきりと見受けられる状態でした[xiv]。サラリーマン層、特に大卒においては、インテリであるという自負(当時の大学進学率は10%程度)と将来の昇進への期待から自らを紳士であると自己認識したい気持ちがあったのでしょう。それは例えば当時の「消費ブーム」に表れていました。紳士として高級な家具やスーツを揃えるために、月賦が広く利用されたのです(当時のサラリーマン世帯の月賦利用率は47.6%です[xv])。『ニッポン無責任時代』においても、「背広の月賦がまだ残ってるんだから」というセリフが出てきます。

 一方で、週刊誌レベルでは大卒の増加による出世競争の激化が嘆かれ、出世法や処世術が見られるようになります。子供の教育費や電化製品の購入のためにカツカツで生活をし、会社では上司にへこへこしながら同期との出世競争にいそしむ。これは戦前からいわれていることですが、経営者としてふるまうこともできず、労働者として権利をかかげて戦うこともできない中途半端でしがないサラリーマン像が相変わらず息づいています[xvi]。そんな中途半端な立場にあるサラリーマンの平凡な日常を「C調」に笑い飛ばしてくれる映画、それが『ニッポン無責任時代』だったのではないでしょうか。

 確かに「敗戦の傷」を覆い隠し、「明るい戦後」を描き出した点で『三等重役』と連続していました。しかし、大卒者の急増よる競争の激化、エリートでなくなる不安がある一方で、消費ブームの到来により電気家具を手に入れることが「サラリーマン」としての矜持を保つというプレッシャーがありました。これにより、60年代当時のサラリーマンは50年代のサラリーマンよりも、「庶民」と「インテリ」という二重性の板挟みになる度合いが強かったと考えられます。そうした中で、「平均」という非現実的で反動的なヒーロー[xvii]が、日々の二重性の鬱屈を感じさせない機能を持っていたのではないでしょうか。つまり、『三等重役』が、戦前と比較した時の「民主化」された職場の「理想」を描いたのに対し、『ニッポン無責任時代』はその先、現実の二重性という苦しみからの「逃避」を描いたものと考えられます。

 

[i] 大河内一男『日本的中間階級』(1960)、加藤秀俊「中間文化論」『中央公論』 72(3) 1957.03 p.252-261

[ii] 橋本健二『格差の戦後史』、田沼肇「日本における「中間層」問題」『中央公論』 72(14) 1957.12 p.195~207

[iii] 源氏鶏太「作者の言葉」『サンデー毎日』1951年8月5日、52頁。

[iv] 井上ひさし「ベストセラーの戦後史-8-源氏鶏太「三等重役」昭和27年」『文芸春秋』 66(1) 1988.01 p.p410~416

[v] 鈴木貴宇「「明朗サラリーマン小説」の構造 : 源氏鶏太『三等重役』論」『Intelligence』(12):2012.3 p.125-136

[vi] 大河内一男 他「ビジネスマンの百年を回顧する(座談会)」別冊中央公論. 経営問題 4(2) 1965.06

[vii] 坂堅太「東宝サラリーマン映画の出発 : 家族主義的会社観について」『人文論叢』(33):2016 p.21-30

[viii]キネマ旬報』1956年8月下旬号 p.83-90

[ix] 松成義衛『現代サラリーマン論』1965

[x] 安達英三郎「東宝喜劇の終末を飾った『ニッポン無責任時代』」『キネマ旬報』1985年4月15日号(通号908)P143~P145

[xi] 江藤文夫 『キネマ旬報』1962年9月(320)(1135)

[xii] 松原隆一郎「無責任男の「笑い」にたくした、日本人の「夢」とは 植木等に見る、高度経済成長期」『東京人』 22(7) (通号 241) 2007.6 p.134~139

[xiii] 坂堅太「二重化された〈戦後〉 : 源氏鶏太『三等重役』論」『日本文学』64(2):2015.2 p.33-43

[xiv] 松成義衛『現代サラリーマン論』1965

[xv] 松成前掲p126-7(出展は経済企画庁「消費者動向予測調査」)

[xvi] 大宅壮一は次のように述べています。「サラリーマンは、ブルジョアのように現在を支配する力をもっていない。といって又戦闘的労働者のように、明日を望んで生きることも出来ない。勢い彼等の生活の重心は、その限定された資力をもって最大の消費的満足を獲得することであらねばならぬ。」『サラリーマン』昭和4年10月

[xvii] 西脇英夫『キネマ旬報臨時増刊号』1982年5月号p.300